前回の記事の結論。
小説や映画はある程度の期間内では(無声映画、チャップリン映画までさかのぼると無理が生じる)評価の尺度があれば横並びにして、作品としての本質的な優劣の比較は可能だ。目の前に興味をそそる小説、映画がなければ、過去には、今も色あせない面白いものが一杯ある。
批判者たちはイロイロ云うが、ホンネは己の小説観の尺度(過去ー現在ー普遍的尺度)で測ると、村上作品そのものの文芸的価値は、販売部数の足元にも及ばないということ、なんだと想う。
嫉妬は潜在的にあり、ソレがバッシングになっているかもしれない。
が、そういった深層心理は人間の常であり、そういった指摘に深い意味はない。一作家の小説などが1000万部以上も売れると、読書界における一大現象である。コレに対して真価を問う動きが出てくるのは当然のことであり、日本的な制度としての私小説世界が素晴らしいと対置しているわけではないので、建設的な立場である。
ただし、日本語の小説となると、文体、文脈を問題にする必要があるから、日本の私小説で練りこまれた文体、文脈を、どうしても村上批判に用いなければならない。
引用。村上春樹 「ねじまき鳥のクロニクル」 第一部 P308(最終ページ)
「僕はそこに立って、バスが角を曲がって消えていくのをじっと見ていた。バスが見えなくなると、僕は奇妙なくらい空しい気持ちになった。
それはまるで知らない町に一人で置き去りにされてしまった子供が感じるようなやるせない気持ちだった。」
この主人公の僕は30歳の法律事務所勤務を自主退職して失業保険の給付を受け、妻はトレンド雑誌の編集者兼アルバイトのイラストレーター、子供無し、親族から格安で庭付きの広いうちを借りている、という小説の設定である。「 」内のバス~の光景を受けて、まるで以下の比ゆは僕の奇妙なくらいの空しい気持ちを適切に説明しているだろうか?比ゆで説明されているような心象風景では、何の説明にもなっていない。
削ってもいいくらいだ。
が、そうすると、続きが「それから僕は家に帰って、居間のソファーに座り、本田さんが肩身として僕に残してくれた包みを開けてみた」となっているから、小中学生の作文じみてくる。
だからどうしても、30歳の男の心象風景を再定義し、文脈としてレベルアップするために「僕は奇妙なくらい空しい気持ちになった」の、比ゆが必要となる。
それが「まるで~}以下の比ゆとなるが、村上は完全に比ゆに失敗している。上記のような設定の主人公の僕が「知らない町に一人で置き去りにされてしまった子供が感じるようなやるせない気持ち」になることは想定できない。比ゆは空しく空回りして、只、文脈の体裁を整えるためにだけ使用されている結果となっている。
要するに作家として主人公の心象風景を適切に描き出せないから、描写する世界の奥行きがなくなっている。
ただし、心情や風景を比ゆ的に描写していくことは、村上春樹文芸の真髄とならざる得ない。文脈として物語の語り口に奥行きを持たせることができないから、どうしても、物語の肝心な場面で比ゆ的描写を使用しなければならない。作家本人もそれを自覚しているのか、力を入れて書いているのが解る。ソレが上手くはまっている場合と空振りの場合がある。
コレに対して、安岡章太郎の比ゆ 小説でも村上さんのように比喩的表現は余り使用しない。事実を積み重ねて、全体として読者に共感や情景を誘う手法。文章は日本語として非常に簡潔自由自在で練れている。
両者は作家としての資質の違いであり、どうしようもない。安岡章太郎の文脈を尺度として、村上さんを評価するのは、仕方がない。
「昼食後、トルストイの家に言ってみた。二階建てで、広さは上下あわせて50坪ぐらいだろうか。
>貴族の大家族が済んでいたにしては、意外なほど狭い。雨が降っている成果、家の中は酷く暗く、まるで旧式の不景気な町医者の病院に入ったように陰気だった。
トルストイの研究科だという若い婦人が案内にたったが、陰気な顔つきで、膨らんだ乳房の下で大きく腕組みをしたまま、機械のように早口で説明した。
『トルストイは大きな家に住むのを嫌がり、ワザとこのような家で質素に暮らしました』」
~~居宅、遺品の一通りの描写が終わって、以下、次のようなとぼけた感想で訪問は終わる。
「トルストイのストイシズムも行き過ぎで、少し病的になっていたのではあるまいか。
「白いひげを生やした老人が前掛けをつけ、杖をつきながら気のバケツで水を運んでいる姿は奇怪である」
「家族全員、ことに働き盛りの息子や娘たちは、顔を洗うたび、水を飲むたびに、さぞやそんな年寄って頑固になった父親の重労働を想ってやりきれない思いがしたであろう。」
村上さんのはまっている比ゆ的描写に村上文芸ファンは魅了される。
「それからどれくら時間が経ったのか、~しかしある時点で、思いもかねぬことが起こりました。太陽の光がまるで何かの啓示のように、さっと井戸の中に射し込んだのです。その一瞬、私は回りにあるすべてのものを見ることができました。井戸は鮮やかな光にあふれました。それは光の洪水のようでした。私ははむせ返るような明るさに、息もできないほどでした。暗闇と冷やかさはあっという間にどこかに追い払われ、暖かい陽光が私の裸の体を優しく包んでくれました。私の痛みさえもが、その太陽の光に祝福されたように思えました。~~
やがて光は、それはやってきたときと同じように、一瞬にしてさっと消えてしまいました。深い暗闇が再び辺りを覆いました。それは本当に短い時間の出来事でした。時間にすればせいぜい十秒か十五秒くらいのことだったと想います。深い穴のそこにまで太陽が真っ直ぐ差し込むのは、おそらく角度の関係で一日の間にたったそれだけなんです。」
W、荒涼とした満蒙国境地帯の深い井戸に落ち込んだ、というシーンをリアルに描写している。この小説で春樹流描写が一番、冴え渡ったシーンである。
しかし、この井戸のシーンは彼が多くの参考文献を読み込んでいる中で見つけた深い井戸にまつわる話を小説世界に設定しなおしたものといえよう。多くの資料を読み込み、全うに評価し小説世界を真っ向から創造する、という意味では彼は正統派の小説家である。小説の中のノモンハン関連の記述を総じて平凡としたが、厳然とした歴史的事実に全うに評価し、小説世界に応用するという小説家としての誠実さがそうさせたのである。
同時に、クロニクル(年代記)を述べる正統派の小説家として参考文献を最後に挙げたことは、自ら文芸世界のネタを読者に公表し、共有しようとしたのである。
アルベールカミユ「シューシュポスの神話」 哲学と小説 新潮文庫 P135引用
「しかし、人間を絶えず世界に直面させ続ける不断の緊張、人間を駆り立てて全てを迎え入れさせようとする秩序ある狂気は
人間にもう一つの熱病を与える。
そのとき、この宇宙においては作品こそ彼の意識をそのまま保ちながら、意識の様々な冒険を定着する類ない機会となる。
W。哲学的言い回しで難しくすると以上のようになるが、第二次大戦時、反ナチ、レジスタンス運動に『作家を志す若者』として参加した体験が下敷きになっている。
創造するとは二度生きるということ以外の何物も意味しない。
W。突き詰めるとそういうことになる。
『プルーストの、不安におののきながら、手探りで進むような探求、花々や綴れ折りや苦悩の細心な蒐集は、二度生きるということ以外の何物も意味しない。』(W。現代において創造は作家の特権ではなくなった。)
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*又同時にこうした探求は、俳優や征服者や、いや、あらゆる不条理な人間たちがその生涯のあらゆる日々に没頭しているはかり知れぬ不断の創造に比べる時、それ以上の広がりを持っていない。
(W。不条理という状況設定は原爆投下で終わった第二次大戦後出現し、冷戦体制崩壊ーグローバル資本制の進行と共にますますその様相を濃くしている。政治体制がますますグローバル資本の蠢動を管理できなくなって、多くの世界住民の生活を混乱の方向に導いている。政治的緊張関係がある限度を超えると、核ミサイルのボタンに手がかけられる可能性が常に存在するが、世界の支配層は自らの地位を保全するために、自らの住民支配の道具と課した民族と国家の宣伝煽動に政治的経済的利益を見出さざるえない。
W。最早、政治的な正義は喪失した。
正しいとするものが悪に転化し、悪といわれるものの中にも正しさが見出せる。
遅れたものがいつの間にやら横に並び先を行く、進んだものが追い越される。
個々人は丸裸でそうした世界に対峙せざる得ない。
物質の氾濫している中で圧倒的多数派は一労働力商品の身の上のまま、寿命を閉じる。
そこにおける普通の人間の生涯に不条理は潜在し続け、もがくことで不条理を生きるシューシュポス的人間の境地に達する。
が、やがて宇宙の無機物に消えていく絶対的必然。
輪廻や転生はない。十字架に賭けられた受難のキリストも死んで天国にいったら自分が天国に入っていないことに気づいた。自らが終わるときは世界はきえるが、世界があり続けるのも物理的事実。)
>W。現状、将来において、二度生きることのできる創造は一部のものにだけあるのではなく、裾野は大きく広がっている。
↓
カミユ。
>誰もが、自分自身を模倣し、反復し、再創造しようと試みる。
>そして僕等にとっての様々な真理を、自分自身の顔とするに至る。
>芸術と偉大な物真似なのだ。
やはり売れる理由は小説の中にある。
しかし、トータルすると発行部数に比べると余りにも欠陥が多すぎる。
問題にしているのは、どうして、村上春樹小説が大発行部数になるのかという、受け手、買い手に内在する実情と、情報ハイウェイの渦中の受け手、買い手の自律方法である。この角度からの問題意識がなければ、情報ハイウェイの載せられたまま、最期まで流されていくだけだ。
小説映画以外のジャンルの裾野も広がってきた。そして、世界でリアルに発生している事態を情報ハイウェイに載せる技術が高度に発展して、情報の受け手に陸続と流し込むために、小説、映画の手法では、情報ハイウェイに載せられてくる情報を自らの描く世界に処理し定着しきれなくなっている。
映画小説のジャンルの先進国における相対的縮小は明らかだ。
モット云えば、この時代は世界的な文化の質の後退期である。そういう歴史が過去に存在したのは事実である。
その主たる原因は争乱や宗教であったが、この時代はコントロールできず、モノとココロを支配しようとするグローバル資本の蠢動である、と想う。コレによって人間の創造的自発性が磨耗させられている。
グローバル資本制ー全地球一体化市場⇔地球規模での格差拡大と表裏一体の国家民族の「衝突」の時代は
徹底的な情報化社会の時代でもある。
早い話が村上春樹さんの「ねじまき鳥のクロニクル」をわざわざ買ってまで読むのだったら、「~クロニクルの」末尾に上げている参考文献の中の気になる本を読んだほうが、はるかに知的好奇心を満足させられる。
実態も浮かび上がってくる。一部だけでも300ページもある小説をよくらいなら、この中のめぼしいものが読める。
氾濫する情報から自己の世界を自主的に目指すことはできる。間違っていれば治せばいい。
参考文献 W、多角的視点で状況を照射しようとする姿勢が目立つ!
「静かなるノモンハン」 伊藤桂一http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%A1%82%E4%B8%80 講談社文庫 昭和61年(1986年) 作家としての経歴に注目。
「私と満州国」 武藤富雄 文芸集住 昭和63年81986年)
だから、村上春樹さんの「ねじまき鳥~」をわざわざよむのだったら、彼が挙げた本の気になる数冊を読んだほうがはるかに刺激的に脳髄に響く。村上さんのノモンハン事変、満蒙国境地帯の描写は総じて凡庸。しかし歴史的事実に忠実になれば、そういうことになる。それを捻じ曲げたり、一部だけを誇張することを避けている。
自分がそうすることの悪影響力を熟知している。また、団塊世代の村上さんは、そういうことはできない。
作家として真面目な人である。周りが余りにもひどいということもあるが、やはり正統派である。
自らの物語の出所を事細かに明記している。歴史的事実を書くのだから当然のことである。
百田尚樹の「0の~」を読むのだったら、太平洋戦争の客観的な史実に基づくドキュメントを読んだほうが特攻隊の全貌がわかる。
>百田の場合は作家として失格である。
そもそも、物語のプロット自身、村上春樹の「ねじまき鳥~」のパクリである。(もっとも「ねじまき鳥」を読んであの程度だったら、おれでも書けるとしたそうである)
ウィキで物語の筋書きを読む限り、
太平洋戦争史の資料を多角に照射し、 陸海空の各種特攻攻撃の太平洋戦史における公平な軍事的位置づけが成され、それを小説に反映しているとは思えない。この作業は作家として、避けては通れないと考える。
エンターテイメントと作家しても、現状から、そうであってほしい。
敢えて言えば、陸海空の各種特攻攻撃は純軍事的観点から言えば、効力を発揮していない。
ただし、精神主義の極地の行動はどの政治的環を握って、どうしたら日本人の心性をコントロールできるかとう点に関して、大きな示唆を与えた。ソレが日本国憲法1条~8条に反映された。それに均衡させた条項が9条を筆頭とした条項である。
以上で百田尚樹の「0の~」を終える。読んでいないのだから、ここまでしか評価できない。
百田尚樹なる存在は、最近知った。NHK経営委員就任、都知事選田母神候補応援で。そのようなヒトがこの世に存在しているとは全く知らなかった、ということと、初めて名前だけでも知ったときがNHK経営委員就任とは、世間というか政治の実情とのドラスチックなギャップ?
キビシイ見解も用意したが全て削除した。全く未知の文芸者を標榜するものに対して、作品の中身において評価されるべきだと、原則的に考えたからだ。