新コロナ事態に対するWの基本的な姿勢は大量PCR検査時期の適切不適切以前の課題として、最初からできる限りの大量検査をして新コロナ事態の全貌を把握して事に当たること。
検査結果によって、医療機関に人が押し寄せても仕方なし、コレが民主政の基本原則で、その際の混乱、間違いは民主政の許容範囲と考える。
民主政とは民が主導権を持つのだから間違いが起こることを前提条件にするものだ(古代ギリシア、アテナイ民主政のデモスがWの大原則だ)。
W.。スウェーデン独自のコロナ対策の検討を深めている。ドイツ首相のメルケル発言にみられるように一般的に集団免疫獲得戦略(抗体獲得25%とか7%と説がある。)といわれているが、実際の所は予定調和的な医療崩壊阻止在りき、もっと有りのままの現実を言えば、スウェーデン版姨捨山事態が発生している。北欧の国々の中でもダントツのコロナによる死者の過半は施設に収容された老人たちである。安上がりの在宅介護制度をシステム化したスウェーデンでは、特別な住居に収容された死期の迫った老人たちがコロナの犠牲になったのだ。
こういった状況を踏まえると、アメリカ発ヨーロッパ伝播の優生思想の歴史と政策を検討する必要が出てくる。第1次世界大戦後のスウェーデン社会民主党政権は優生政策を正面から議論し、政策化している。北欧のその他の国も同じ。ナチスは大量殺人をした。
あるスウェーデン在住の医師の記事の中で、日本のコロナ対策との違いは、学校が休みかどうかの違いだけであると乱暴に指摘している。要は政府は大きな政策措置を取らないということである。ただし、社会保障、福祉政策という土台には大きな違いがある、のも事実。
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しかし、大きな歴史的視野に立てば、民主政⇔帝政の繰り返しの中で、民主政を獲得した人々が文明文化を育んできた。命と健康を大切にしてきた。
その立場からすると、集団感染ルート追い一辺倒でPCR検査に至るまでに高いハードルを設けて予定調和的に医療崩壊阻止在りき、などという戦略は民主政原則に反するように映る。水と油のように相いれない。
世の中のいろいろな職業の中には日々身を挺する必要があるものがある。
あくまでも程度の問題で、どの職業も本質は同じだが、医療従事者。
そこに携わる者は最初からその覚悟があることを前提に従事するものであり、それなりのハードルをくぐり職業訓練を受けてその職業に携わっているものと考える。
したがって、それらのモノが今回のような緊急事態に対峙し、自らの職を全うしようとするのは、当たり前の行為である。我慢しきれない場合は、辞職すればいいだけのことだ。それはスーパーのレジ係のひとが感染を怖がって止めるのと何ら変わらない。
世の中に特別な職業など一つもない。みんな平等だ。
以上のように考えていくと、予定調和的に医療崩壊阻止の目標を立てて、PCR大量検査拒否、集団感染追いの戦略は、
>その1として、民主政の原則に反するばかりか、
>その2として自らを特別視し多数国民患者を医療から排除放置し、この緊急事態に自らの特権護持の姿勢を改めて明々白々としたものだ。
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コロナ事態に対する日本方式は万が一功を奏したとしても、Wの頭の中ではあり得ない、拒絶すべき戦略である。
他方で、コロナ事態に対してすんなりとそうした方向を受け入れる政治文化風土があることも、あの政権交代の時期に思い知らされたし(岩盤は固い!~もっともそれは反俗日記が取り上げた米国のトランプ支持層を想起させるが<欧州政治情勢不明>~)、只今現在進行中のコロナ事態に対して、ネット上ではアベ等の所作は評判が悪すぎるほどだが、安倍内閣支持率はいまだに40%もある。
なぜなのだろうかどうしたのだろうか、と考えないほうがおかしい。
今あるそうした状況は過去の積み重ねの中で形成されたものだから岩盤のように固く動かない、圧縮されている。
>ジョンダワーのJapan in the Wake of World War Ⅱは敗戦直後のリアルな政治状況からGHQ間接統治時期の日本史をアメリカ側の資料を駆使し、さらに本格的日本通の知識を混ぜ合わせて叙述された第1級のその時代を知る歴史書である。
岩波書店発行の「敗北を抱きしめて」などというおかしなタイトルもこの書の上記の価値をあいまいにし低めるものである。
いったい誰が、どの層がどの政治傾向が第二次世界大戦、太平洋戦争の敗北を抱きしめているのか主語がはっきりしない。曖昧極まる日本的文脈しか思い浮ばない。それはある種、今のコロナ事態への政府、専門家会議識者、クラスター対策班の対応の源流のようなタイトル選択である。
Wのことあるごとに参考にする岩波書店発行の邦題「帝国の閾(しきい)」。
このタイトルも本の中身の一部しか表現していないもので、もっと適切なものがあったろうにとよく思うことがある。もっともこれは韓国の著者の一番言いたかったことなのかもしれないがこの本も、第一級の日本論としての価値がある。
おそらく日本人研究者はコレに勝る内在的な韓国論はいままでものしていない、だろう。
どうしてそうなっているのだろうか?
この場合も、現状の韓国と日本のコロナ事態への対応差に重ね合わせることができる。
朝鮮戦争、南北分断、中国と陸続き、対アメリカとの関係、独裁と民主獲得、経済発展。
こういった韓国史のなかで自分たちの置かれた客観情勢に対して日本より、文字通り全存在をかけた真剣な接近が求められてきた。
客観事態により接近し知ろうと試み、その結果、自らの立ち位置、と対策が選択される。こういった当たり前のリアルで粘り強い所作が困難事態の中で育まれて、それがコロナ事態に適応された。そうであるがゆえに、大量検査とIT駆使のなりふり構わぬ具体策が実行された。
台湾のコロナ対策も似たような状況が根底にある、と推察する。
一方日本の客観情勢の分析の特徴は自らの願望込みで客観情勢に接近する手法である。
よく平和ボケなどという言葉を安易に使用する人がいるが、事はそんな単純なところにない。
それが当てはまっていた時代は、高度経済成長から、プラザ合意受諾、日本バブル崩壊、冷戦構造崩壊までの一連の時代までであり、その後強化された事態は、「平和ボケ」などという生易しい事態ではなく、一部の特権階層が縮小する日本を前提に自らの利害護持第一に客観情勢を捻じ曲げ、国民をそこにひきづりこんで半永久的な搾取対象にとどめ起き、<彼らの日本国>と共に逃亡しようとしているの図である。
2020年2月以降のコロナ事態を時系列に追うと、異様な彼らの所作の根底に、そういった心根があることがはっきりする。
>なぜ2020東京オリンピック開催だったのか。
*それ以前に地震を筆頭に大地揺れ動く日本列島と住民に対する手当てはあって良かろうに。
*東日本大震災、福島原発事故を受けての所作がどうして、2020年東京五輪開催に飛躍するのか、そこには論理的なものはなく、終わったことは水に流して、ぱぁーといこう、なんとかなるだろう的はぐらかしだけである。
一部の懐が潤い、国民は真夏の祭典にたった2週間の間、酔うだけであとは何も残らないばかりか負担を背負うだけだ。
*中国に対する対応は嫌中などという表層的なものを政治の一部に取り込んでいるから、エコノミックアニマル的目先の利用主義に陥る。
腰の座った中国論があれば、コロナ事態の中での対応も変わっていた。
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W。参考資料 デモス、クラシー (35)
①
②
③W。デモスクラシーの中で重要記事。
↓ ↓
④引用 反俗日記、2013年4月13日
第14回。フィンリー「民主主義ー古代と現代」の「民主主義の伝統的原理が機能することを許されない、民主主義の先進国、英米という逆説」は市民革命で天下を取った資本家に民主主義の諸原理は搾取の邪魔。神棚へ。
「フィンリーが前掲文でいう民主主義の伝統的な原理が機能することは許されない、民主主義の先進国イギリス、アメリカという逆説。とは、
これらの国において、資本家の活動領域が十分補償されたから、最早、民主主義の諸原理は自らの獲得した活動領域を侵食する賃金奴隷たちの反抗の道具にされる懸念が出てきたから、「それらの原理が機能することは許されない」のである。
解りやすい、現実だ。」
⑤
「 JSミル。-竹中労ー人間は弱いから群れるのではなくて、群れるから弱いのだ。
.確かに「政治」「軍事」の究極の局面ではこの覚悟が必要だったし、これからも変わらない。「 」は広い意味を含む。
フィンリーの挙げるJSミルの言葉はアメリカ大学教員職からの政治追放という経歴が大いに影響している。
「人間の行為の中で、社会に従わなければならない部分は、他人に関係する部分だけである。
自分自身にだけ関係する行為においては、
彼の独立は絶対的である。
彼自身に対しては、彼自身の身体と精神に対しては、個人は主権者である。」
>「行政官の専制から身を守るだけでは十分でない。
支配的な世論や、感情の専制に対して防衛することも必要である。
つまり、社会が法的刑罰以外の手段を用いて、
自己の考えや習慣を
それに同意しない人々に
行為の規則として押し付けようとする傾向に対する防衛も必要である。」
~アテネ民主政社会において<市民個人>は神々や部族、氏族などの中間団体、市民特権戸籍、そして何よりも、市民=戦士というポリス政治的共同幻想に埋め込まれていた。
ポリス共同体=市民個人だった。」
「>>市民革命以降の近現代の民主主義政治の歴史に照らし合わせても、民主政体は寡頭政治や専制に転換する要因を内在させており、固定的絶対的なものでない。
民主制の外見を装っていても中身が寡頭政治の場合をエマニュエルトッドは「帝国以後」で指摘している。
<先進諸国では金融経済の傾向の深化によって、金融寡頭支配層の支配体制は強化され、必然的に民主主義は後退していくが、新興諸国においては民主主義は進展していく趨勢にある。>
一部特定に例外はあろうが、以上は現状に照らし合わせても、歴史の趨勢である。」
「戦後の民主主義に関する歴史は逆回りしているのではないか。
それとも「正常に戻った」のだろうか。
だったら、「正常に戻った」過去に付随する政治的軍事的事態も形は違っても再現されると、するほうが自然である。
そうでないとする絶対理由が見出せない。
また日本の政治家や官僚に判断力と調整能力があるとも思えない。
>日本政治体制の特性は危機的時代における、<後追い性>と、<なし崩しの体制総転換>である。」
>日本の場合、こうした政治軍事過程の主導力は、歴史的に見て、外部よりもたらされた。」
@「言い換えると、国内的には政治的少数派にしか、民主政体の専制化、寡頭体制化への転換の進行深化した体制を変革する政治的中核は見出せない。」
多数派獲得への政治ポジション、強い政治的意思と戦略、は絶対に放棄すべきでないが、現状、将来における日本的特殊性に基づくその限界を割り切っておく必要がある。
余計な絶望感は一切排除し、凛として決然立つべきである。
日本政治の基本的ありようは形は違っても本質は繰り返す。」
>ファシズムは民主政体の国内的争闘激化にしか発生しなかったし、1930年代の時代状況に大きく規定されたものであった。
日本の戦前軍事体制はファシズム体制ではなく、既存の国家行政支配機構のなし崩しの軍事体制への転換であり、それが世界分割戦の重大な促進要因となった。」
>>現状の経済政治体制は巨視的に見ると、日本国民経済の世界経済に現有の占有率、8%程度からの急激な後退過程と捉える。
「云うところのアベノミクスは必ず次の経済の後退過程のパノラマに転換する促進材料に過ぎない。
言い換えると、金融寡頭支配層だけが潤ったらいい、他は野となれ山となれ、という決断の政治の実行であり、そうした輩が体制となる政治を、民主党政権交代ー大震災=原発事故の国内激動政治過程や海外の経済体制の動揺に耐え切れず、多数の国民自らが選択した、ということだ。」
「各種選挙結果を見れば、多数の国民の政治意識のあり様は、全国一斉国政選挙以前にハッキリしていたではないか。
東日本大震災、原発事故のとき、直ぐに関東大震災と以後の政治過程を思い浮かべた。
日本を過剰に煽ったら、どうなるか。やってはいけないことをやっていると想った。
国家と市民の分岐が鮮明にできないのが日本人の特性であり、そういう国家共同性はいい面もあるが悪い面もある。
緊急事態だからこそマスコミはこの点を弁えるべきだった。
そもそも、がんばらなくてはならないのは機構としての日本でなく、生きた人間集団としての日本国民、一人ひとりのあり様だ。「がんばれ日本」は政治責任から逃れるごまかしであり、個人のあり様を問わない無責任である。」
@重要。基本視座。何度もグラフを示して記事にしたが省略。
↓
「>>過去の記事で戦前列強の工業生産数値、戦後の先進国のGDPの推移を比較検討した結果、日本の現状占有率戦前列強最低の2、4%-戦後8%の急上昇しているのは日本のみという異例性を他の先進国と比較して、度々指摘している。
この異例性は歴史的な時間をかけて是正されていくのである。
日本だけが例外などということは100%ありえない。」
ただし、封建制の残存度の高いイタリアの占有率後退の低さから類推すると、突出している日本の後退傾向は
劇的な様相を取らない可能性が強い、とみるが、突出が強烈だから、反動も急激になるかもしれない。
←W。2020年、5,31時点のこの項に関する問題意識。
イタリアのコロナ感染の凄まじさの根底には、東西冷戦崩壊後の国内基本政治地図の劇的な転換がある、と仮定する。
現政権は北部同盟(移民排斥、洗練された愛国)+5つ星運動(ネット発祥の新興政党)であるが、この事態は1922年ムッソリーニ、黒シャツ隊のローマ進軍→国王政権移譲の事態を頭の片隅において、コロナ後の世界史的展望を想起する手掛かりとなるだろう。政治的先進性と不釣り合いな社会経済状況がイタリア政治状況が魁となる原因である。
>いづれにしても、第二次大戦後の日本経済成長を可能にした内外環境が何処にあったかということが、この問題を解く鍵を握る。
>冷戦体制の最大の受益者は日本経済だった。
この視点から、中国、朝鮮の戦後史、アジアの戦後史と日本の戦後史を比較し、それらの現状に照らし合わせると、大きな俯瞰図を描けると想う。
⑥2013-04-20
「「要するに、前5世紀後半の完璧な民主制は、もしアテナイ帝国?が存在しなかったならば、導入されることはなかった。~前6世紀半ば以降、民主制はギリシャ社会の中で次々と現れ始めた。」
「>>W。27年間に及ぶ対スパルタ、コリントス、テーバイのペロポネス同盟への降伏=帝国の覇権の崩壊~。
帝国の政治的軍事的圧迫、経済的収奪体制は弱体化しても、民主制を維持していたのだから、これぞまさしく非帝国的なデモス民主政に近づいた、といえる。
>アテナイ民主主義は帝国的都市国家の崩壊と共に成熟の域に達したのである。
民会や裁判の発言者の記録が比較的キチンと保存されているのは帝国崩壊後の前300年代であって、
それまでは必要最小限の行政的事務手続きの記録しか残す慣習しかなく、重要事項は石碑などの手段で広場に公示されるだけだった。
face to faceの民会主導の直接民主政治、各種行政への市民参加、官僚制の拒絶、党争の原因になる政党忌避の神々の共同体社会は
統治システムの肥大化を意識的に回避する言論優先の政治行政社会だった。
>>そういう民会や裁判の記録も蔑ろにしがちな民主政の自然発生性は帝国崩壊による経済基盤の弱体化の中で、合理的に克服されていった、とみる。
帝国としての政治経済の余裕がなくなって<海軍、公共事業、神々の祭儀、市民の公務参加の手当て、食糧輸入の財源>政治選択の余地は狭まった。
こういう時期に、今更ソクラテス~プラトンの云うような民主政を放棄した寡頭政治にしても、実際のところ、今までのアテナイ市民生活は維持できず、幸福をもたらさない、と市民は感知していた。
市民は二度にわたる短期間の寡頭制に対して武器を持って蜂起して民主制に戻した。
>>アテナイの得られるパイの縮小、という動かしがたい現実を前にして、
民主政を放棄しても、得るものは多くないないと解っていたのである。
言い換えると、アテナイだけではなく、ギリシャ社会文化全般に見られる世界的普遍性に始原的回路を開いた稀有な徹底性、独創性は
古代の全時代をかけた戦争と平和、生活と文化に育まれ、古代ギリシャ世界に根付いたものであって、
目先の状況に単純反応して、投げ捨てられる性質のものではなかった。」