タイトルのように、ソ連邦崩壊以降の経済動向について、関心が強く実態を明らかにした本を読むことが多かった。ソ連邦崩壊直後、英米政策通の経済政策を採用した結果、国有企業の財のかなりの部分はインフォーマルな形で急増闇資本主義者のような連中の手に渡った。カネがものをいう世の中が突然目前になって大金を融通できるもの(外国ユダヤ金融)や行政処理をして資本財を手に入れられる者(共産党系)は限られていた。
エリツィン時代はこのようなものが跋扈した。
そうこうしているうちに混乱が増して、プーチンが旧ソ連時代の残存権力基盤(軍と警察)をバックに強制力を発揮することを承認される形で権力を握る立場についた。プーチンはソ連邦崩壊直後に即興的に権力と資本財、富を得た者たちを非常手段も駆使して追い落としていった。
かくしてその後のロシアの経済と政治の基盤が姿を現した。
経済全体の構図は資源産業を牛耳る国家型企業、軍需産業が工業の中軸に座るモノカルチャー的国家資本主義であり、民生部門の産業がぜい弱で輸入に依存している。
結局、ソ連邦崩壊直後からエリツィン時代の経済政治混乱のなかで旧ソ連邦の民生部門の生産企業の財は闇から闇に売り飛ばされ、そのカネはロンドンのシティー金融資本などの懐に渡った。
>今回のロシアプーチン政権のウクライナ侵略と反撃は、以上に述べたプーチン権力のソ連邦崩壊後の混乱期における国家資本主義モノカルチャーへの整理整頓によって、不利益を被った者たちの巻き返しという大きな構図の中に納まるものと考える。
>経済的にはロシアをEU[帝国主義経済、英米帝国主義経済への従属経済へ一層引き込む長期戦略に強権ロシア民族主義者のプーチンがはまった形になっている。そこまで馬鹿な政治指導者が長年権力を握っていられるほど、ソ連邦崩壊のめちゃくちゃぶりがひどく、その渦中の整理のために登場したプーチンも外国メディアの報道とはかけ離れた政治家として状況把握と展望を欠いた政治家だったということである。
ロシア革命以降のいわゆる共産党は国際情勢の激動や民族自決独立の世界的な動き、冷戦体制膠着状況などの要因もあって石頭行政官僚ばかりが集まる無能集団化していたということだ。仮にソ連邦健在時に中国文化大革命のような国内争闘が実行されていたならば、理論と実践能力は研ぎ澄まされていただろうが、ソ連の剣が錆びきっていて使い物にならない社会民主主義の鋳物化していた。スターリン主義の本家本元の社会民主主義変革はなかった、民衆にもその政治土壌はなかった。
ウクライナはそういった両者の争闘のいけにえになろうとしているが、この地はもともと20世紀初頭ロシア革命前はユダヤ人虐殺大衆暴動(ポグロム)多発地帯、ドイツ人のロシア入植者の多い地域、ナチス支持者多数いて、ナチス軍に入隊する住民も多くいた特殊精神風土を持つ地域であり、ロシア経済従属化の政治軍事工作をするにはうってつけの地域である。もちろん歴史的に世界紛争化する政治紛争の発火点であり続けた地域でもある。
資本主義の諸類型~日本型、ドイツ型、英米型
W,引用最初はタイトルに記した。
「東欧諸国へのメッセージとして資本主義にはいろいろな種類がある、たがいに似ているドイツ型および日本型は、
英米型とはかなり違う。
>アメリカ型をモデルとするより日独型をモデルにするほうがいい、という趣旨の本を書こうと思い立った。
~~
90年代において、資本主義の諸類型が英語圏の政治学者、またある程度の日本、フランス、ドイツの政治学者の好んだテーマとなった。
~~今様の学会の雰囲気には、ホールソスキスがしゅりゅうになっていて、私が異端者である状況を反映しているかと思う。
***
両方の相違点を要約すればこうなるだろう。
①
私が日独型とアングロサクソン型という実在国家の比較をしているのに対して
彼らは「リベラル市場経済」及び「組織された資本主義」を両極とする。
②
彼らはその副題が示すように国際経済競争でどちらが勝つかを主要な課題としている。
私は経済比較優位論ばかりでなく、どちらがらが住みよい社会をもたらすかということを重要課題としている。
③
彼らは学者らしく、なるべく価値評価を避ける。どちらもプラスマイナスはあると。
もう学者のつもりはない私は、日独型のほうが望ましいという価値判断を隠さなかった。
***
私の主要な論点は次の通り w古風な見方だが、にひん経済後退を解くカギとしては正しい。
①
日本でもドイツでも、会社の目的はその所有者(株主)の利益の最大化ではなく、
株主、従業員、顧客、主要銀行、および下請け企業地域社会などというステークホルダーたちの福祉をも勘案する。
②終身雇用制が普通で転職が少ない。
従業員がステークホルダーになっているのはドイツでは法律の指定による(ワイマール憲法状況時代からのもの。歴史は古い)が
日本では株の持ち合い、および経営者の常識に支えられていたが(持合い関係が解消されるまで)結果は同じようなものだ(コレは戦前財閥慣習の復活。経営サイドの問題であり、ドイツのような経営参加はない。最も労使協調、企業内組合制度、慣習だ代替えしていたが)W法律指定と企業慣習は違う。
③日独では会社も個人も銀行、部品提供者、販売者などもステークホルダーとみられ」それらとの取引関係は割と安定的である。
英米では短期利益のために、年ごとに下請け会社、仕入会社、などを入れ替えることは日本では比較的少ない。
④
経営者の目的は四半期はおろか、年次利潤最大化というような短期利益の最大化、~~
橋本行革と新自由主義への疑問
衝突を止めよう(W日米経済摩擦、日米構造協議)日本の異質性はプラスでなくマイナスだ、なるべく先進国、アメリカのようになろう、という思想に向かって90年代の中ごろ政財界の体制が傾いていった挙句、いよいよ徹底した行革を約束した橋本内閣が誕生した。
W。次の言説も月並みだが、ジャパンアズナンバーワンからバブル崩壊後の日本の歩みを振り返ると重要な視点。
一億総中流社会⇒バブル崩壊⇒資産価値上昇の国民割合が多くなると新自由主義、小さな政府、国有企業の民営化、市場競争の激化などが受け入れられる基盤ができた。
@ただし日本の悲喜劇は経済環境が激変したことによって、長期経済停滞が始まったことだ。その中において上記の政策がイデオロギーとして実行されたこと。明らかに傷口を広げる間違いである。
引用に戻る
「戦争直後の労働党政権が作った制度~平等主義的な公共医療、公共教育制度の充実
鉄道、石炭、鉄鋼などの国有化~を支えたのは
>国民の7割、自分を労働者と自己規定した労働者階級だった。
>しかし、その後の経済発展の結果、工業社会が<オール中流>の脱工業化社会となり<資産をいくらか持っている人3割>対<肉体労働に依存するする7割>という3対7の関係が7対3社会になっていった。
W。日本とイギリスのオール中流は中身が違う。もっと言えばイギリス資本制とその国家と日本資本制とその国家の戦略的立ち位置の違い、ということになる。周りの環境激変に対する対応力の程度の問題は結局、戦略的立ち位置のいかんにかかわる問題。