This Singer Asks if I Know "Stand By Me" and Steals The Show
https://www.youtube.com/watch?v=WE1UV_3nBNA


***************************************
Follow Laura and her music here:
Laura Michael 𝄞 | Music - YouTube
ローラマイケル。
略歴を参照すると個人的に地元フロリダのスタジオ録音の自費CDを何枚も出しているようだ。
⇒W。趣味で音楽やっているYou Tuber。ギター、ピアノを聴いていると、まったくの独学、何とかしようという気も無かった、と思えるレベル。(このレベルでは大衆向けのパフォーマンスとしてやはりキツイ)。
>しかし、唄にはハートがあり、センスも良い。
*********
の街頭録音に出演し視聴数を上げている素人さん(1500万回~500万回)は上手いヒトばかりだが、Laura Michaelに魅かれた。
****************************************************************
(他の素人さんは今風のバラード~~余りにも日常的なつぶやき~~からさびで絶唱調の<瑣末な主観の強調~~日本でいえば下手な演歌の世界~~を共有できる人々の幅は狭い>ワンパターンの唄ばかりで独創性は無く<中途半端に主観的ならば、やるなら主観に徹底せよ!>。それなら自国製で代替えできる~~聴いているとアメリカンポップスの世界音楽シーンへの影響力の後退に納得)
↓
>プロの歌手に近い存在。歌詞がはっきりしない。
Tennessee Whiskey
https://www.youtube.com/watch?v=3wwtR1p9MnM
本家の唄と比較すると上の女性は発音が悪すぎる。カントリー調はスローテンポな楽曲が多く、普通、単純な題材の歌詞か、ストーリー性のある歌詞が多いので聴いただけ意味がだいたいわかる。この女性、解り辛い。
↓
@本家の
クリスステップルトン
ブルースというヒトがいるがカントリー調だ。
>それにしても下の唄。曲調、節回しはウィリー・ネルソン - Wikipediaの影響を受け過ぎ。それほど有難がる程の独創性は無い。
https://www.youtube.com/watch?v=4zAThXFOy2c
>@昔のカントリーは飲酒で失敗した失恋を嘆くが、
今は
【歌詞和訳・Chris Stapleton】ブルースに垣間見る男の美学と女の情念 | ヘッドライトとテールライト Head&Tail
>想い出した!この方のブログを過去記事で使わせてもらった
@ニーナシモンだった。Aint Got no I Got live良い訳詞だった。
@今回はケチ付になってしまう。ブルースではないです、男の美学でもないです、と。
@南部、白人保守主義の牙城の讃歌に堕している!
*******
>この歌詞の中にどこに<男の美学>がある?
俗流フェニミズムとの米国的な妥協の産物=夫婦愛である。タミーウィネットのスタンドバイ ユアーマンは楽曲で評価。カントリー史上に残る名曲(歌詞の内容に徹底がある)。その他にもまだ1曲ある(ポジティブな歌詞、軽快なリズム感満点)。
引用
「ジョージ・ジョーンズの1983年バージョンのこの曲は彼のアルバム「シャイン・オン」に収録され、ホットカントリーシングルチャートで2位に達しました。
「テネシー・ウィスキー」は1981年にディーン・ディロンとリンダ・ハーグローブによって書かれた。2人はナッシュビルのブルーバード・カフェで出会った後、一緒に曲を書こうと決めた。ディロンはしばらく前から曲のアイデアを持っていたが、2人は朝4時にハーグローブの家に戻って曲を書いた。」
引用
「1969年、仲間のカントリー歌手のタミー・ウィネットと結婚した。1975年まで続き、タマラ・ジョーゼットという娘が1人いる。ジョーゼット・ジョーンズという名で自身の実力でカントリー歌手(W。大学に行って看護学を学んでいるタミーウィネットが自慢していた、ハンクの栄光の遺産で歌手になったようなもの、個性が無い)となり、父親と共演した。1983年3月4日、テキサス州ウッドビルで現在の妻ナンシー・セピュルバドと結婚した。彼女はまた彼のマネージャーとなった。
ナンシーは(W.典型的な南部福音派のヒト)彼を飲酒およびコカイン摂取から救い出した。(W。というストーリーならカントリーファンなら誰でも知っている。
*******************
しかしよくよく考えると、そこまでの美談なのか?
酒とクスリを止めるためにキリスト教原理主義が必要なのか?!
米国で単純化された宗教が流行る背景を考えたい。
酒とクスリ依存心が宗教依存になった。裏と表の関係が逆転した過ぎない。リアル実存の人生を全うできないのか?
そのどこに男の美学があるのか?!
アメリカはいい意味で悪い意味でも単純なヒトが多い国だ。
ドナルド、トランプ支持の世界である。
When You Play Johnny Cash in a Waffle House
***************************************
********Laura Michael |Impromptu “Can’t Take My Eyes Off Of You” Cover [Lauryn Hill] in the car
直訳すると「君から目が離せない」。この方がぴったりだが。
日本で少ヒットした。間奏のオーケストラのストリングスの使い方が独創的で印象に残る。
ビー・マイ・ベイビー (ザ・ロネッツの曲) - Wikipedia
の流れをくむプロ的な構成のポピュラーソングで音楽性が高い。
(プロデューサーのフィル・スペクター(殺人罪で服役していたはずだがどうなったか)によるウォール・オブ・サウンドの傑作)⇒反俗日記で過去に取り上げた。
引用
「フランキー・ヴァリが1967年に発表した楽曲。数多くの歌手にカバーされているスタンダード・ナンバー。」
******
******時間不足でもあり先を急ぐ****************
W。妥当な評価であり、位置づけ、である。
引用
「1960年代中期に世界規模で成功したブルー・アイド・ソウル(つまり白人が演奏した60年代の黒人音楽)ロックポップス・グループ。アメリカでブリティッシュ・インベイジョンの前後最中を通して人気のあったグループはビーチボーイズとフォー・シーズンズのみと評されている。」⇒W.後者は凝った作りの楽曲が多かった(知っている限り日本でのヒット曲は2~3曲、それも少ヒット)ので事実上、音楽仲間の手作りロックバンドが台頭した1960年中期以降の時代でビートルズ、ローリングストーンズに対抗できるのはビーチボーイズだけだった。フォーシーズンズはプロの世界で各人もまれたバンドだった。
>しかし、当時のアメリカンミュージックはフォークソング、JAZZ、所謂ポピュラーソングは歌手ではフランクシナトラなど大人の歌手、流行歌手コニーフランシス、シンガーソングライターではポールアンカ、ニールセダカ、キャロルキングなど多様性があり、それらを総合した影響力はでは断然、アメリカ>>イギリス。
イギリスにはカントリー、フォーク(その要素のある土着のメロディーはある)、JAZZ(もっともアメリカ的要素のある分野であり世界性がある)は無いに等しい。ポピュラーソングは多少あった。
>そのバラエティー性がアメリカ音楽シーンから希薄になったのは、どうしたことか?ジャンルに拘らず精神性と音楽以外の人間性のパフォーマンスが加味されて総合評価が決まるようになった。この傾向は音楽業界の巨大産業化と需要する多数の生活実態と購買力に乖離が生まれている逆証明だ。売り手は前よりも大量販売できて、売れると簡単に音楽で大儲けできてセレブ化率は高くなるが、ヒエラルキーの上位から下の一般民は需要はあっても購買力に限界がある。この二者の大きくなった溝を埋めるためには精神性の強調(音楽における下層への精神的降臨、似非一体感の偽造=平凡なつぶやきの歌詞、絶唱)や音楽以外のパフォーマンス(慈善寄付、「政治的人間的パフォーマンス」)が必要になる。
前回の反俗日記で取り上げた永井荷風の個人主義(無頼の一種)は業界の人間関係において成立しない。出版してもらおうと思えば、本人が精神性を改めるしかないし、矯正されるしかない。次元は違うように思われる本質は同じだ。
以上のような社会的規範による制約が文化芸術領域に課せられるようになると、自由な模倣、創造破壊の作業が自由闊達におこなわれるのか?
アルゴリズムを利用した作曲技術を搭載したシンセサイザーはとっくの昔に開発されている。今やコンピで作曲できる時代だ。同じようなつぶやき節が多いのもの買い手の世相(需要)に作曲コンピのアルゴリズムが併せているのかもしれない。またコンピがメロディーラインやリズムをアルゴリズムで打ちさせるようになると、模倣を警戒して創造力は委縮する。
また話は飛ぶがトレバーバウアーが完全にMLB復帰の道が断たれ横浜に舞い戻るのも納得がいかない。民主主義の実態社会が希薄になり企業の論理や倫理が全社会を覆うと、カネになることが価値になり、そこから<はみだし>は許されない、価値観で社会は統一される。求められている多様性も企業の論理と倫理に準拠する。
>つまり文闘過多がますます米国社会を覆って来た。トランプ現象もソレへの反発だが、文闘過多社会の片方の一翼を担う現象だ。
日本語版
>ウィッキにしてはホンの僅かな記述しかなく呆れたことがあった。
一方 英語版ウイッキの膨大な記述の中身を読むとマルクーゼの思想が米国の文闘過多に如何に根源的根拠を与えているか解る。
ウィッキは各個人が書いて修正していくものなのでイデオロギー問題になると資料にならない場合が多い。不可解な記述が続くがマルクーゼ思想がアメリカの大学教育で大きな影響力を持つ思想的要因を簡単なフレーズを挙げておくだけに留める。
前提条件としてアメリカの大学には旧左翼はあまり存在していない、いわゆる新左翼である。反俗日記は左翼なる名称に昔から疑問を持ってきたが~~
新左翼と急進政治
「著書「抑圧的寛容を引用
『「解放的寛容」とは、右派の運動に対する不寛容と左派の運動に対する寛容を意味する。~~~』⇒前記に対する解説記事は次のようになる。
W.意味不明だ。ヒトがモノが政治体制が矛盾の中で<変わる>ということを前提にしていないかのようだ。こんな窮屈な関連各部局以外に開かれていない文闘は全社会的な広がりを持たない。必ず対抗する政治ブロックを強固に降り積もらせていく。トランプ、政治ブロックは過去の文闘過多が生み出した結果ともいえる。
「真の寛容は「抑圧」を支持することを許さないと主張する。なぜなら、そうすることで疎外された声が無視され続けることになるからだ。彼は抑圧的な発言に対する寛容を「本物ではない」と特徴づける。その代わりに、彼は抑圧的な(つまり右翼の)政治運動に対して不寛容な形の寛容を主張する。」
上記なような知識人を主体にし大学を拠点にした狭苦しい文闘のすすめは、フランクフルト学派でユダヤ人のマルクーゼのドイツ、ナチ党台頭するワイマール共和国時代の政治総括が大きな原因になっている。
精神性と人間性が問われだすと音楽の持つ普遍性に対する評価が希薄になる。
*******************時間不足で以下、取り上げることが反俗日記の全く知らなかった分野であり、本来なら本題にしても良かった。
>ローラ、マイケルさんはやはりセンスの良いヒトだった。
*****“Can’t Take My Eyes Off Of You” Cover [Lauryn Hill]
⇒全く知らなかった。日本語版は英語版に比べて異常に短すぎる。
英語版 長すぎる程、注目され客観的な評価も高い。
1975年5月26日生まれ)は、アメリカのラッパー、歌手、ソングライター、音楽プロデューサー、女優である。
>同世代の音楽アーティストの中で最も影響力のある一人として称賛されている。ヒルは、女性ラッパーの障壁を打ち破り、ヒップホップとネオソウルの両方の主流化に貢献し、ラップとメロディアスなボーカルを融合させた(W.そんなことが可能なのか?疑問!)とされている。彼女は、 NPRの「 50 Great Voices」の一人、ローリングストーンの「200 Greatest Singers of All Time 」の一人として表彰されている。
>2015年、ビルボードは彼女を最も偉大な女性ラッパーに選んだ。彼女の受賞歴の中には、女性ラッパーとしては最多の8つのグラミー賞がある。
********
「ヒルは、2015年にアメリカの歌手、ピアニスト、公民権運動家であるニーナ・シモンの生涯を描いたドキュメンタリー映画『 What Happened, Miss Simone?』のサウンドトラックに声を提供した。ヒルは当初、このアルバムのために2曲だけを録音する予定だったが、最終的には6曲を録音した。彼女はロバート・グラスパーと共にこのコンピレーションのプロデューサーも務めた。ヒルはシモンとのつながりについて、「私はこの音楽を糧にしてきたので...私には常に発言権があると信じていました。彼女の例は、自分たちの声を見つける必要のある世代にとって明らかに糧となっています。なんという贈り物でしょう。」と語った。 NPRはサウンドトラックでのヒルのパフォーマンスを絶賛し、「このアルバムは主にローリン・ヒルの幅広さと器用さを披露しています。ヒルのカムバックアルバムとして正式に宣伝されたわけではありませんが、ここに収録された6曲は、1998年の『The Miseducation of Lauryn Hill』以来最も包括的なスタジオ録音のセット~。」
反俗日記⇒「ラップとメロディアスなボーカルを融合させた(W疑問
は解けなかった。自分の体内リズムと合わない。
音楽はイデオロギーではない。高尚なことは解らないが芸術と政治思想は違うところが大きい。ニーナシモンとは本物。レベルが違う。
米国では専門分野以外のイロイロなパフォーマンスも含めて芸能者は注目され(ローリンヒルはコロンビア大学に進んだほど~在学中に売れて中退)、ソレが総合評価の対象となり、金銭と<名誉>が付いてくるエンターテイメントの時代になっている、としか言いようがない。文闘過多のヒト:である。
>米国内の専門分野以外のパフォーマンスを加味した属性はグローバル資本制下のIT世界情報化の中では米国限定の地域性に過ぎず、普遍性乏しく世界な影響力を持つことはできない。
ローリンヒルは世界で受けているとは思わない。
内向きになっているのは日本だけではないアメリカも次元は同じということが歌の世界でも起こっている。
*******
テイラー・スウィフト - Wikipediaを調べたときも、なぜこんなのが売れるのだろうか(ある記事で高校生がスウィフトの10万円もするコンサートチケットを欲しがると親は嘆いていた)、というのが率直な感想だった。
独創性を全く見いだせなかった。訳のわからない眠たいつぶやきのメロディーラインが多くサビの部分が何時まで待ってもやってこないまま局は終わった。
正直これでは繊細な心境を唄った微妙で英語歌詞を即興で解らない日本人には感動しようがない。
もっとも日本で宇多田ヒカルが流行っていた頃。故大橋巨泉さんがこの手の曲がアメリで大流行り、盗作じゃないか、とまでいっていた。この人物は米国文化が世界性を喪失した象徴のような存在。
>ローラ、マイケルさん(40歳)レベルの技量(唄中程度、楽器演奏は非常に低レベル、しかし、センスは抜群。)でも諦めることなく自費CD制作に励む意思が持続する要因がなんとなくわかる(スタジオ使用料~スタジオエンジニア込み~や製作費が日本よりかなり安い)。彼女の父はイラク系イスラエル人(矛盾した存在だが)、母は地元米国。父の国イスラエルに暫く住んでいた(4年)父母離婚。いろいろ考える心があるようだ。それは素晴らしい。
**********
**********
の
下の楽曲はの伝説の女性カントリーシンガーキティ・ウェルズ - Wikipedia調だ。
Texas Jean Valli You'd Still Find A Way To Cheat On Me
>タイトルそのものがカントリー定番の主題(おんなの男への恨み節)であり、それだけで歌詞の中身を想像できる。
https://www.youtube.com/watch?v=NFjFKgLP-vE&list=RDNFjFKgLP-vE&start_radio=1
評価が低すぎるとのコメントが多い。
*************
「素晴らしい女性による素晴らしい曲!この女性は強烈なパフォーマーでした。彼女は当時よりももっと評価されるべきだと思います。」
「カントリーを歌うもう一人の偉大な女性クラシック・カントリー・シンガー。テキサス・ジーンはもっと知られるべきだった。これらの「無名の」歌手は、「スター」よりもカントリー的で優れています。ここには「ナッシュビルサウンド」はありません。」
ウィッキ引用
「ジャン・ヴァリは若き日のフランチェスコ・ステファン・カステルッチオと親しくなり、カステルッチオは後に彼女からフランキー・ヴァリという芸名を譲り受けた。 彼によると、彼女は彼を保護して音楽業界の人々に紹介してくれたという」
アメリカのYou Tubeのコメント欄は、読んでいて面白い。
手放しでファンというコメントも面白いが、評論的なコメントは参考になる。
去年の何時頃からか、クリックすれば日本語に自動的に翻訳できるようになった。
アラビア語みたいなのも翻訳できる。
その一方でGPUの機能の特徴なのか?音声翻訳は上手く機能しないようだ。
カントリー歌手Texas Jean Valli のコメントも暖かいし的を射てなかなか辛辣なものがある。
****************Googleに分散していた記事を偶々見つけた。
「The Surfrajettes “Train Kept a Rollin’” (live in San Jose, August 2, 2022)
W。最近、サーフラジェッツをよく視聴する。上手いとか下手だとかを超えて安心しリラックスして聴ける。音楽はノリが大事。自分の体内に持っているリズム感と共鳴する曲に癒されるということか。」
以上に尽きる。