反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

TTPに腰を据えて反対するためには、日本のこれからの国家像、アジア戦略。現状、将来のアメリカとはどういう国か?と云う基本認識がいる。

 昨夜、やっとのことでTPPに関する民主党国会議員の勉強会を岩上安見サイトの動画でじっくり聞かせてもらった。中身への感想はここで詳しく触れないが、売族外務省が交渉窓口を独占しており、情報を極端に隠ぺいし、国会議員にも明らかにしていないようだ。最悪の展開で事が進んでいる、とみる。
 
 繰り返し主張している様に、外務省のTPPに臨む姿勢は完全な経済幻想に基づく日本独自の政治軍事戦略なきアメリカ任せの矮小経済主義そのものである。
 
 以前の外務省サイトに発表されていた記事によれば、東アジア共同体交渉からの急激な転換の大きな理由はナント、中国は自前産業を育成する大方針があるから、将来は日本の競争相手になる、と云うモノだった。
 
 姑息な経済主義極まれり、だ。経済法則からして中国産業がやがて育成されることは当たり前だ。
それを嫌っていたら商売にならない。
尤もこれなんかは単なる言い訳にすぎず、アメリカがTPPただ乗り利用に踏み出したから同調しているだけである。主体のかけらもなく、自分勝手に「TTP平成開国神話」を作り出して、自己催眠し、日和見主義の本質を誤魔化しているだけである。
 原発安全神話とよく似ている。事実を主体的に直視していない。
 
TPP をやれば、中国韓国という最大の貿易相手を排除する品目が多くなるのは明らか。言い換えると、無関税の域内の市場展望のない国から輸入しなければならなくなる。関税収入もなくなり、その分は国民負担となる。
 
 現状と将来の日本は国内からは、付加価値の高い商品を輸出するほかないのである。
 
中国が自前産業育成を行っていても、日本から輸出商品の巨大市場であり続けることに変わりはない。
TPP加盟国の中でアメリカ日本のGDP合計が90数%に及ぶと云う事実は他の国の市場としての展望は開けていないと云うことである。
 
 アメリカは再度経済的に浮上するためには、よその国から、ヒトモノカネを還流させたバブルを引き起こすしかない、それが経済の大きな趨勢である。
言い換えると日本国民はアメリカ国民の浮かれた生活を支えるため、モノとカネを流し込んでやるしかない。
 GDP費で製造業28%しかないアメリカ国民が、工業製品を日本に売ることなど経済構造的に絶対に不可能ななのである。
 
 であれば、金融商品やら、アングロサクソンユダヤ経済構造を日本に押し付け収奪する道しか残されていない。
 
自由貿易協定より、日本にとってハードルの高い多国間の基準で統一されるTPPへの構えとして、こんな戦後の独自国家戦略なき経済主義を引きずったようなセコイ発想で臨んだら、アメリカに良い様に扱われる。
 
 >ブログ記事更新を中断して読書にふけっていた時の一冊に「ユーゴスラビア戦争」と云う本があった。
 
一級品の学術書と云っていいモノだったが、今もってバルカン半島の同じ南スラブ人同士があのような凄惨な殺し合いを長年にわたって演じなければならなかったのか?本当のところ理解できずにいる。
歴史的過去のいきさつ、宗教対立が強烈に怨念として燻っていて、一気に爆発した。
そう想わないと、解釈できない。
 しかし、理解はできない。日本人には本当のところ解らない。
が、解らないと云うことが解っただけでもいいことだ。
 
 >温故知新。
この4文字熟語は中国のモノだろう。
天変地異の激変下で暮らしてきた日本人にとって、DNA的に過去は忘れるようにできている。体質的と云っていい。
温故知新ではなくて「水に流す」という純粋、思考上に載せなければならない問題を自然現象に置き換えると特技が染みついている。それはそれで大変な処世術である。
 
 原爆を投下されも、憎しみの連鎖を断ち切るとかいう便利な言葉を使って、ヤッテはならない人類上の戦争犯罪を犯した加害者と惨禍に見舞われた被害者の厳しい歴史的峻別を放棄し、自然災害ごとき奇妙な平和セレモニー転化している。
 
 そこに集っている人たちのどれ程が、今回の福島原発事故を引き起こした根源に、その種のごまかしに等しい「平和主義」が加担してきたのか、気付いているのだろうか?
気付いていないから、オバマ来広島式典出席を外務省幹部が阻止した、と糾弾したりする様な無思想への自覚がない。
 
 オバマの様な奴に広島式典に参加させるなんて、頭が戦後冷戦体制下の「平和と民主主義」幻想で、どうかしているのではないか?
形を変えた原発村発の安全幻想でないのか?
 
 通常の思考形態だと、原爆を2個も投下された国民は国内、立地条件無視で全国に54基もの原発を林立を許し、人類史上に残るような事故を発生させている現状にまず、恥じるはずである。
 そんな主体的な思考回路は遮断され、いついかなる時も為政者が勝手に行ったことに対する糾弾や自然現象視の立場に終わっている。
 
 その点、さすが京大の小出さんの主体はしっかりしている。
これまでの原子工学の現場で原発反対を貫いた学者人生に悔いはなく、ただ一点、福島原発事故発生を、自分の無力もあって、引き起こしてしまった事を、敗北ととらえている。
 
 >TPPに関する意見にも通じることである。
 
 事の本質はまず何よりも損得勘定を遥かに超えた、己の主体がこの日本、この世界の、どこに位置するかという確認がまず確立されていなくては話にならない。
 
大企業が儲かったら、自分立ちの生活も自ずからリフトされる、なんてアマちゃんもいいところだ。
今の世界資本主義は、支配層の振りまく、そんな幻想の遥かかなたを行っている。
 
 直近の小泉竹中市場原理主義政策を遥かにオーバーするあらゆる分野での格差的事態がTPPによって現出することは目に見えている。
 
 すでに繰り返している様に日本社会は相対的貧困率社会保障給付費率からして、アングロサクソンユダヤ社会に変貌している。
それに加えて、TPPは万力の様な外圧となる。
 
 セイフティーネットは大震災復興、原発事故もあって、財政的に作られる環境にない現状将来から、TPPは多数国民に過酷を強いることになるのは火を見るよりも明らかだ。
 
 なお、この点に関しては当局も解っているようだ。
韓米自由貿易協定の主要部分の実施は4年後になっている。
良い様に解釈すれば、そういうことになるが、それよりも厳しいレベルに設定されている、TPPはそれ程、日本国民多数にとって破壊力をもつと云う事だ。
 
 
 日本人的DNAは払拭できるものでないし、それはそれで良い面がたくさんある。
 
しかし、事が世界相手の大勝負となると、そのままではうまく機能しない。
 
世界の歴史をこれまで動かしてきた主流派のDNA的基本的思考形態と日本人では、かい離が大き過ぎる。そしてそのかい離が結果的に日本人に誤った選択を「強制」していまう。
 
 戦前も東アジア規模でうまく立ち回ってきて、ちょん髷時代からすると、格段の急成長を遂げたのに、世界とまともに対面しなくてはならない様になった時、「情に流される」と云う本質を露呈し大失敗の道を歩んだ。
 
 >ここに「月刊東洋経済」などを発行している東洋経済新報社編集トップであり、経営幹部まで務めたキャリアの方の記事を提示する。
 
タイトルはズバリ。
「TPPと云うバスに乗り遅れ韓国に負ける?」
 
さすが余りの明け透けに気がひけたのか最後に?マークを振っているが中身はタイトル通りの心境で手前勝手な数字をもとに焦りまくったTPPに何の疑いも抱かない激烈推進の立場を吐露している。
 
 副題を追っていくと記事の内容がおおよそ理解できるので提示しておく。
 
FTA締結でさらに対日競争力を増す韓国ビジネス」
 
「1、5%の第一次産業のために98、5%のかなりの部分が犠牲に」
 
「小沢鳩山連合の妨害で日本の産業も農業も共倒れの危機に」
 
 この記事は20010年10月27日に作成されているから、年が明けて以降の大震災、原発事故、野田政権誕生、小沢氏三秘書、陰謀判決を踏まえていないが、今もってこういう人物はむき出しの論理?を死守していると見る。
支配層の論理がそこに濃縮している。、これからの世界の動向、とりわけ東アジア情勢、国民全体将来国家像は矮小な経済主義に押し込められていまっている。
 
 だから「バスに乗り遅れるな」という戦前、日本帝国主義の急進的な領土拡張主義に走って、満洲国成立まで突っ走っていまった時のスローガンが今頃復活する。
 
戦前は関東軍を頂点とする偏狭軍事主義、
そして今ここに至って、TTPの政治性、軍事性、国家性の展望を描いた偏狭経済主義。
両方において主役を張ったのは官僚政治である。
戦前の軍国体制は軍事官僚が主導権を握った結果である。
戦後は文官が主導権を握っているだけの違いだ。売族官僚が政治混乱の間をかいくぐっていい様に蠢動している。その政治混乱も元はと云えば、特捜検察によって彼らが主導し、マスコミが国民を宣撫した結果したある。
 
 >TTPはヒトモノカネの世界的自由度が増す方向に今あるのではなくて、逆に中国、韓国と云う日本にとって交易の比重が高まっているユーラシア大陸方面に対して、諸々の障壁を設けて背を向け、太平洋遥かかなたの没落傾向にあるアメリカと没落連合を結ぶことに結果する。それが歴史の大きな流れから見た趨勢である。
 
 国家の戦略性を蔑にして、アメリカに頼って保守性、日和見主義が染みついて、そのままになっていたから、過半の国民の生活に苦痛を強いるしかない方向しか選択肢がなくなってしまった。
 
 >黒船来航から、内乱内戦、明治維新までの過程は封建制から資本制への暴力闘争的転換期であった。
それが成果として実を結んだのは(資本の原始的蓄積期)日清、日露戦争の賠償金、国内においては過酷な農民搾取に寄った。またイギリスを筆頭とした資金調達もあった。
 
 しかし、日本は開国時の関税自主権喪失、外国居留地治外法権など国家主権確立に向け、明治の長い期間を必要とした。
 
 その後、日本支配層の後継者どもは明治の元勲たちの築いた礎をぶち壊している。
一番の被害を受けたのは無知な国民である。
 
 それから150年も経て、世界戦争敗北、復興、発展、成熟の道を歩んだ日本の高度発展金融資本主義の2010年代の今、参加が問われていると称する東アジアに背を向けた12カ国の急進的規制撤廃がどうして
「平成の開国」になる、と云うのか?
 
 やっている事が明治の元勲たちが築いた礎をぶち壊した戦前の後継者たちの逆行の道ではないのか?
 
戦後日本人の築いた礎をぶち壊していまいか?
 
世界戦争の敗北し、理由のいかんにかかわらず、戦勝国アメリカの多大な国土占領を許しているばかりか、その費用まで負担している国と国民が関税自主決定権を完全喪失し、一部大企業と富裕層の利益と自らの安穏のためのために多数の国民生活を蔑にするしかないTPPを締結することは、
普通の常識から、更なる属国化の進展にしかならないと考える。
 
世界中の様々な多国間自由防衛協定と比較してみると日本にとってのTPP事態の特殊性、歪性がよく理解できる。対米互恵平等はそこにない。
 
 新自由主義とかいう綺麗事ではなくて、TPP推進者の論理?は市場原理主義世界観そのものが満開している。
こんな政治をもった国民は災難である。
優勝劣敗のジャングルの掟にとって多数国民の存在は単なる材料、獲物に過ぎない。
小泉竹中時代のあらゆる分野での格差拡大が外圧に荷重されて、万力の様に国民生活を締め上げていく。