反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

「ドイツ人が見た日本」ードイツ人の日本観形成に関する史的研究ー中埜芳之著。独の新聞、雑誌等の生情報を掲載。参考になる。

 この本のサブタイトルは仰々しいが、「ドイツ人が見た日本」が本の中身で、難しい内容ではなく、江戸時代から、現代まで日本を訪れたドイツ人の滞在記や日本情報、日本観を生のまま掲載している。
中野さんはドイツ文学者の大学教授。ケラー作品集の翻訳がある。
 
 ケラーなんて、聞いたことなない名前だから、調べてみると、スイスのドイツ語の小説家で、スイスフランの硬貨に肖像が載っているほどだから、当地では有名な作家らしい。
なかなか渋いドイツ文学者とみる。
 
 著書は大変な労作だと想う。時間と労力がかかっている。
 
 江戸時代から現代までの「ドイツ人が見た日本」の文字に書かれら情報で重要と想われるモノをチョイスし、そのまま載せている。難しくこねくり回していない処が良い。
ただ、ードイツ人の日本観形成に関する史的研究ーといのは大げさすぎる。
ジャーナリスティックでポップな本だ。
 
 >さて、以下、気になる処を次々と抜粋していく。
なお、読み込んだところ、近世、近代、戦前には参考になる抜粋がないので、現代に焦点を当てて引用する。
 
 現在の韓国、中国の対日批判に関連して
 
>1989年「南ドイツ新聞」記事より。
「米占領軍は天皇を法廷に立たせることを断念したのは、その方が占領目的遂行に好都合だったからに過ぎなかったが、それが民主国家日本の建設を出だしから妨げることになった。
天皇の名においてなされた犯罪の犠牲者にとってー日本人も含まれるーヒロヒトを頂点に頂く日本は信用を失い続けた事になる。
 
 歴史的事実を認識できない、解らず屋の日本人たちにとっては、問題があるのに天皇が在位し続けた事は自分自身の過去との対決を拒否する隠れ蓑となった。
 天皇の個人的責任を巡る論議がこれまでなされてこなかったために、過去と真剣に取り組むことが一般的に疎外されてきた。
この様な人たちは、歓迎すべからざる議論を、将来に置いても避けたいとしている。
 
 しかし、日本人が為すべき問題提起を自らしないのであれば、それは外国からなされるであろう。
もうこれ以上言い逃れはできないのである。」
 
中野重治と云う戦前のプロレタリア文学の有名作家で共産党員として治安維持法によって投獄され、戦後も党員作家として活躍した作家がいる。後に政治路線の違いから除名されたが。
 
 このヒトの敗戦直後に発表された随筆に、1960年代後半になって問題とされた「五灼の酒」がある。
 
 この中で彼が云いたいのは煎じつめれば<天皇後続にも人権がある>。
戦争に負けたからと云って、巷から天皇の人権を蔑にするよな野卑な誹謗中傷が聞こえるのは、感覚的に大いに違和感を覚える。
 
 戦前の共産党路線の最大の特徴は天皇制廃止の民主革命だった。
ところが、敗戦直後の共産党路線では米占領軍は解放軍とされ、共産党の主任務は戦後民主革命?の徹底化だったが、この中野の天皇、皇族に人権ありと、敗戦直後の昭和天皇人間宣言とピッタリと符合する。
あるいはまた、日本国憲法の宮廷政治勢力GHQとの利害一致による、国民参加なき、発布の政治過程に何の問題意識も見当たらない政治次元の低さがある。
後の事だが、ジャーナリストの大森実さえ指摘している。
 さらには、日本国憲法の1~8条までの規定と9条の関連への問題意識も全くない。
戦前の天皇制に真っ向から反対してきたはずの共産党でさえ敗戦直後は、この政治次元だった。
ほとんどの日本人の正確な政治意識は敗戦によって、呆然とするばかりだった。
敗戦は市民革命の絶好のチャンスである。
また日本人にとっての敗戦は東アジア諸国民にとって解放であり、戦いの勝利であった。歴史的事実、日本帝国主義に抵抗していたモノは存在した。
 
 1960年代後半になってやっと、大きな視点が開けてきた歴史的意味。この場合、分水嶺を反対の側に転げ落ちる可能性も内在しているし、現にそうなっているが。
 
 南ドイツ新聞の厳しい指摘は1960年代後半から日本の一部に歴史的時間を止めることなく、それに沿って進めた結果、やっと獲得された<本当は普通の歴史的視点>である。過激でも特殊でもない。
 
>1982年「ドイチェス、アルゲマイネ日曜版」
日本の教科書における戦争の記述が外交問題にまで発展した。
日本人は原爆の犠牲者であったと云う事実のために、自分たちが大戦前や大戦中にアジア近隣諸国の人たちにどのような辛酸を嘗めさせたかをすぐ忘れるのだ。
原爆の被害者であったためj、自分たちをを戦争の被害者だと思い込んでいる」
 
>>この抜粋で原爆祈念追悼式の<裏面の政治的意味>が浮き彫りにされていると想う。戦争の政治軍事過程の全てを原爆投下一点に集中して、「水に流したい」。政治効果としてそういう役割を果たしている。
 
>1985年西ドイツ、バァイツッカー大統領の連邦議会演説。
「過去に対して目を閉ざすモノは、結局は現在対して盲目になる」
 
>1985年「アルゲマイネス日曜版」
「日本人は島国なので、他の外国人の立場に立って考えると云う能力が劣っている事。日本人は宗教を中心に出来上がった西洋とは異なる行動規範を持っている事。
日本ではあの戦争を悪い指導者と不幸な状況によって引き起こされた<過ち>と見なす歴史解釈が主流をなしていること。
天皇制を中心とする近代史研究上のタブーが存在する事。
過去の事よりも将来の事を重視する日本人独特のプラグマティズムがある事。
<人間は変わるモノだし、失敗から学ぶものだ>といって、戦争犯罪者を追及しない日本人の心的態度」
 
>>論理を一貫させるドイツ人らしい指摘だが、大方の先進国の基本思考はこれに類するものと考えたほうが良いのではないか。
どうして悪い指導者と不幸な状況が生み出されたのか、思考するのが負けた戦に学ぶ、普通の思考だと想うが、そうなってない処に、内輪ではOKでも、外とは齟齬をきたす。
そして対米関係の様に黙ってついていくしか、逆に対東アジアの様に絶対に譲らない。
基本思考が転倒している。
 
>集団指向にに関して
「勤勉さ、礼儀正しさ、と云うのが日本人一人一人に関わる概念であるならば、<集団指向>と云うのは日本人が形成する社会に関わるイメージ。時代特有のモノではなく、戦前より存在。」
 
「火事、台風、地震によって特別の危険にさらされてきた事。さらには複雑な灌漑方法を必要とする水稲稲作をしているため、どうしても集団作業をしなければならず、生き残るため個人の目標を利益共同体の目標よりも下位に置かざる得ない。」
 
>>天変地異の激しい列島に何万年も居住し、やがて水稲稲作と云う、極めて労働集約性の高い作物を栽培し、有史以来国家の収奪と民族の基盤としてきた事が日本民族の特性を形成している。
 
>教育、学校制度。1989年「シュピーゲル」誌。
「日本では大勢順応が美徳と見なされ、規範への適応が目標となっており、幼稚園から始まって小中高から大学までが、規律と訓練によって勤勉で従順な市民を作り上げる場所と云ってもよく、
<<日本で最も成果を挙げている工場は、日本人を生産している学校と云う工場だ>>」
 
>>最後の部分は本文中もっとも強烈な皮肉。
 
>自然破壊。2002年「ターゲス、ツァイトゥング」
関西空港を後にしてすぐ、田んぼとかサラサラと水の流れる小川があると想っていた訳でない。
だが、疾走する急行列車に1時間乗っても、列車は相変わらず、アパートなのか、工場なのか、発電所なのか、ショッピングセンターなのか、あるいはごみ焼却施設なのか、見分けのつかない、不格好なコンクリートビルの側を走っている。
その灰色の途切れるところと云えば、広告の看板が立っていたり、ジャングルの様な送電線があったり、高速道路との連絡路があったり、何処にでもあるパチンコ屋のネオンがある処だらけだ。
時たま橋があって視野が開けたと想っても、目の届くところはどこまでも河床がコンクリートで固められている河なのである。」
>>降り立った空港が悪かったと云う事もあるが日本全国の人口密集地帯は程度の差こそあれ似たような状態であることは確かでヨーロッパン人には窒息する様な光景が続いている。
>>同じ日本人同士でも自然のある田舎から都会に出ていくと、そういう気分になる。
 
>>全国的な産業計画はあっても、まともな国土利用計画など今まであったためしがなかった。
都市地域開発も基本は完全アナキー放置。
それでどうして地域主権がうまく機能するか。金儲けシステムに呈の良い餌食を提供するだけ。
 
>記述されている大阪の風景はリドニー、スコット監督、松田優作の「ブラックレイン」が上手く芸術に昇華している。
 
        <追記>
ま、2回も世界体制の分割戦に敗北したドイツ人に云われたくないよ、と云う部分はある。
「ドイツ人は生まれながらに国家主義者である」と云うのは当たっている。戦前のドイツの社会民主主義国家社会主義的要素を左翼用語で隠ぺいしていた。ヒットラー出現はドイツ政治過程の必然だったがユダヤ人大量虐殺まで突っ走る処がドイツの論理性の問題点である。
そういった意味で、抜粋記事にも一面性があるとは思うが、多方面からの見方として掲載した。理念上の対立に純化すれば、最悪の結果が生まれる場合が多い。絶対に柔軟思考が必要!
 
2回も世界と戦争し、手痛い敗北を記した結果として、二度とナチスの様な体制を生み出さないと云う今のドイツの具体的な諸方策があると云える。抽象的な空中戦によりも具体的にならねばと云う事。
 
>イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、日本の軍部支配の翼賛体制。
全部、何となくムード的に一緒にする傾向があるが、日本とイタリアドイツの体制には余りにも大きな違いがあり過ぎる。後者は民主政体における国内政治対立の渦中に行き詰った、金融寡頭支配層が選択したテロリズム独裁。
 日本の場合は国内の反対勢力の脅威なしに、国外情勢によって、軍部官僚を中核とした既存の国家機構がなし崩し的に独裁体制に移行したもモノである。
 
 そもそもが1920年代半ばごろには、日本の軍需産業と軍事力偏重、民需脆弱の歪な傾向は際立っていた。
そういう経済下部構造あっての、政治的上部構造としての、国家機構のなす崩し独裁化である。
 
>云い換えると、独伊の場合は民主政体から生まれた民間運動のかたちをとった独裁体制の形成であり、民主政体の実質のない日本の場合、支配層は、そうした誤魔化しを全くと云って良いほど必要としなった。
 
>と云う事は一応民主政体の体裁の備わった今の日本に置いて、危機的情勢に置いて支配層は真の意味での日本型ファシズムを選択する可能性はある。
 
 その場合、橋下、維新がその母体となりそうだ。ここは米国流市場原理主義の先兵の役割と戦前の日本型ファシズムの焼き直しが混在している。その基本政策はデマで塗り固められている。
案の定、TPP賛成、消費税地方税化が打ち出されてた。後者は高橋洋一の主張である。
 
 コレは状況に応じての選択の可能性の問題である。あらゆる分野での格差が拡大しても、国民多数が忍従すれば、戦前形態の国家機構の転換で良い訳だ。