腹筋250、腕立て30、鉄アレイ左+右500、ハンドプレス左+右200、スクワット70。階段のぼり1000段は昼食前にやりたいが、時間がなければ中止。歩行はやる。2013年12月は結局、21回やった。
自分が自分らしくあるために必要なことである。
さて、前回の記事はクソみたいなもので、主旨の本論を削除したものであった。
作成後、少し考えて、仲間内への批判はこの時期には不適切とした。
ただ、批判しながら、内外状況認識もある程度、前に押し出した部分があったので、そこのところも密着して展開していたので消さざる得なかった。
厳しい批判的立場は、自分を鍛えるのだが、時と場合による。
中身に自分の書いたところに間違った認識や深められていないところがあった、とズット気になっていた。
あの記事のハイライトは秀吉の刀狩=兵農分離の端緒、後の身分制に繫がるところであり、自分のこだわり、問題意識では、それは明治維新以降の近代国家建設と東アジア排外、侵略を前提とした国民国家イデオロギーに連動し、その延長線上の敗戦にも拘らず、底流に温存され、内外情勢の歴史的曲がり角に、次代に適応しながら、形を変えて、根幹を維持しながら、再々浮上(一応、大正デモクラシーに至る時期、側面も押さえているつもり)の遠い原因、としているからだ。
が、その想いが漠然としている。そこが課題だ。
原因は前から解っていた。
江戸時代の歴史を調べることを避けているからだ。戦国時代も、実は関心が無い。近現代史は興味がないでは済まされないが。
時折、大きな図書館の近世史の書棚の前に佇むのだが、一見して、自分にあった理論的通史が無い、とわかる。
自分に適した登山ルートが見当たらない。(近年の網野善彦のように独創的な歴史理論家は中世史の研究者から多く排出している、と想う。多分、近世史は資料がたくさんありすぎて、制度論や風俗論に流れて、自由な想像力を働かせる余地がなくなる?)
そこで今回は自分にあった方法、問題意識の通史を時間不足で中身を点検しないで適当に借り出してきた本が佐々木潤之助のタイトルもズバリ「江戸時代論」。偶々、このヒトはその道の第一人者だった。
何時ごろか流行してきた江戸時代の軽チャー世相風俗史解説とは視角の違った硬い本ではあるが、上記の自分の課題に重なるもであった。
なお、以前、NHK夜のゴールデンタイムにやっていた故、杉浦日名子を解説に起用した江戸時代の風俗解説劇(といっても、地域、時代、階層、お手軽恣意的限定)は現段階の支配層イデオロギーの日本型封建制の特殊一側面強調=その延長線上に、アジアで唯一封建制の道を辿り、資本制に達したと日本肯定賛美、日本人優秀の手の込んだ刷り込み劇である、と見ていた。
巨大軍団列島駐屯の圧制と収奪によるズタボロ百姓貧困的江戸時代認識に対して別の景色を見せてくれていることは確かであるが、一部を見せて全体と錯覚させる歴史の粉飾はある。
皇国イデオロギーなど、ポンと目の前に出されると、さすが鵜呑みにする日本国民は限られてくるが、絡め手から刷り込まれるとなんとなくその気になる。
日曜ゴールデンタイムの性懲りも無いちょんまげ劇などはある時期から、そのものズバリの意図で製作されている。
ちょうど、将門を記事で取り上げている最中だったので、ツタヤに行って調べてみたら、2006年に廃絶。ロングセールだったのだ。豪華な顔ぶれの出演者たちも、脂の乗り切ったころで、見てみたい作品だった。
もっとも、ウィキの解説記事を読んだだけでコンセプトのあらましは想像できるが、テレビ発出演の映画スター吉永小百合さん役の最後は強姦されて殺されてしまうというのだから、今の予定調和のNHKちょんまげ劇の枠をはみ出している。
また将門役の加藤剛さんに庶民の生活こそが大事~云々という台詞をはかせているらしい。
時代が40年近く過ぎた今は何とか言う軍師とか。
>そういう訳で、杉浦日名子解説のNHK江戸時代劇の風俗、世相も含めた自分の問題意識にもある程度、答えてくれそうな江戸時代から明治維新に至る通史と社会構造論と一揆を含む生活労働論を、「勉強」してみることにした。
全421ページ。今後じっくり検討して行く。
とりあえず、自己流の漠然とした感想では幕藩国家は、鎖国的限界を前提とした、緩やかな生産力、商品経済発展の中で、時代錯誤的な年貢米を基準とした経済体制を維持しようとして、改革を繰り返したが、政策的に行き詰まり、なし崩し的な自滅の方向を歩んでいた。
幕末明治初頭の一揆の暴力的傾斜は原因は、こうした支配体制の根底からの動揺にあり、被支配者たちは、当事者責任の乏しくなった支配者との仁政ーお百姓意識の従来の枠内で処理されてきた相関関係から、逸脱した闘争戦術を自然発生的に選択しただけである。
そういう社会の風潮が戦いという最先端の行動に反映した。
民衆の闘争戦術は与えられた条件への適応であって、それ以上に意味付与するのは余計である、というのが自分の考えだ。前々回の神田千里さんの象徴としての武装~云々は、考え過ぎであり、与えれた条件によって、闘争戦術のバリエーションは豊富であり、そうした視点は悪影響のほうが強い。
がしかし、その中央主導、地方従属の支配体制は暴力独裁を根幹にするものであったが故に、強制力をリアルに外側から受けなければ打倒されない構造にあった。
それが黒船来航に象徴される外圧である。
それを契機に戊辰の内乱ー明治天皇絶対主義軍事政権樹立に進展した。
引用。佐々木潤之助「江戸時代論」Ⅱ章、ー日本、朝鮮、中国ー1、復古と兵農分離。最終項目より
<不幸な維新>
「悲劇は民衆にある。(民衆とは~支配層と固く結んで政治的経済的支配の支柱となっている一部の特権百姓、町人を除いた大部分の百姓、町人)
そのような民衆にとって明治維新は不幸であった。
兵農分離は、社会分解を民衆世界のものしたのである(W。ここの論理は刀狩、検地、を引き継ぐ統一政権樹立、鎖国による拡大家族制とその生産関係からの小農分離自立、単婚家族の定着、村請負=村共同体形成を条件とする。武士支配層<3000万総人口の7%210万人>システムから吸い上げられた年貢米=強制収奪価値の貨幣化の一部が、都市の商品、労働力購買に転化する。杉浦日名子らが美化している江戸風俗成立の根拠である。
その分解に基礎付けたれて起こる世直し騒動をはじめとする騒動(W。ここはそれまでの経過説明を前提とする最終時期の暴力騒動。)をはじめとする騒動に、幕藩国家はほとんど傍観するしかなかったことは当然であった。(W。支配層には一揆は反体制政治行動とされおり、騒動は当該経済条件改善の暴力闘争化であるという認識だから、調整に乗り出すすべなく傍観。支配層として当事者能力、治安維持の衰退)
この状況の中で維新の政治主体は、そのように民衆世界で民衆が作り出し展開してきた歴史としての社会分解を無視して、国家社会体制を権力的に構築し、民衆のそれへの服従を強制したのである。(W。個々の歴史的事件への暴力的強圧を念頭においている。それは近代天皇制の核心の一つである。)
民衆がその中で少しづつ変革し成長してきた歴史は継承されることなく、権力的に断然させられた。
(W。ここの論理は兵農分離の表側の要素として、武士、武士的豪農が村の生産関係から分離されて、城下町に集住され、人口の85%を占める階層の分解の矛盾の只中で生活し、その解決の途につくことから疎外された民衆は階層分解に対する民衆運動の知的指導者を失った。ここが朝鮮の農村在住の両班、官僚生活の後に故郷に変える中国の郷紳層との差異としている)
こうした歴史の否定に立った政治主体は(W。維新勢力)重要な歴史的課題を解決できないのである。
基本的重要問題はそのまま残され、それに上から近代化の強制に伴う新たな問題が加重されて、あの世界市場稀な近代国家である天皇制国家を作り出す。
しかも「近代」と、残され再生産された暦的課題との矛盾を解決できない結果は、寄生地主制や日本的家制度を生み出しアジア侵略へと連動する。(W。地主ー小作関係や家制度は江戸中期には確立していった。その延長線上に近代化による寄生地主制、日本家制度への拡大がある)
そして最後に大きな問題が残る。それは、わが国の「下からの道」は、どのような政治的社会的能力を生み出したのかという問題である。
なぜ武士や公家たちが政治主体であらねばならなかったのかという問題である。
本書はもっぱら、そのkとを考えるために書かれている」
この論法から言えば、敗戦と戦後民主主義は何とする?
>次回に続く